キム・ヨンボム著「日本主義者の夢」プルンヨクサ社出版、日本語訳連載 29)
―朝鮮人による司馬遼太郎の歴史観批判―
―朝鮮人による司馬遼太郎の歴史観批判―
(訳者注―しばらく休止していた訳文連載を再開します。この原書は、299pで完了となります。)
今までの全訳文は、下記でご覧になれます。
日 本 を 見 る - 最 新 の 時 事 特 集 「日本主義者の夢」 キム・ヨンボム著 翻訳特集
[第5部] 明治が作った虚像、昭和が残した遺産
その3 ‘We the people of the United States ・・・’
再び台頭した改憲論
(原文234p~240p)
‘We the people of the United States・・・’米国憲法の前文はこの様に始められる。日本憲法の英語前文の書き出しもこれと殆んど同じだ。‘We the Japanese people・・’我が国の言葉で説明すれば、二つとも‘我が合衆国国民は、・・・’‘我が日本国民は、・・・’で始められる。
二つの憲法は前文だけではなく、文章の構成も殆んど同じだ。‘我が合衆国国民は…アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定・確定した。’‘我が日本国民は・・・ここに主権在民を宣言しこの憲法を確定する。’
二つの憲法前文の類似性、否、事実上の同一性は偶然の一致ではない。それは当初から意図的であって、今日の米・日関係を象徴する始発点でもある。
1997年5月3日は、日本の現行憲法が施行されてから50周年となる日だった。50回目の憲法の日を迎え、日本では数日前から、世論調査と専門家の分析を通して、現行憲法の意義と評価、改憲の当否に関する賛否論争などが騒がしく繰り広げられた。
世界で唯一つ、戦争放棄条項を持ち、いわゆる‘平和憲法’として称賛されて来たこの憲法を、そのまま置いても構わないのか、それとも改めなければならないのか、その問いに対する国民の意見を聞く討論の場が広がったのだ。
9日ぐらいで作られた憲法草案
日本の現行草案が成案されるのには、せいぜい9日間しかかからないものと伝えられる。それで、或る憲法学者は‘密室の9日間’とも呼ぶ。敗戦の次の年である1946年2月3日、連合国総司令部(GHQ)のマッカーサー司令官は、民生局に、極秘裏に憲法草案を作成せよと命令した。マッカーサーは、その二日前<毎日新聞>に報道された幣原内閣の憲法草案を見て、明治時代に制定された帝国憲法の修正に過ぎないその草案では駄目だと考えたのだ。
草案作成指示を下しながら、マッカーサーは、必ず守らなければ成らない‘三原則’として、天皇制維持、戦争放棄、封建制廃止を提示した。
4日から始められた草案作業は、連合国総司令部の密室で進められたので、日本側には誰にも分らなかった。草案文案作成者は、民政局次長として、ハーバード大学法学部出身の優れた法律専門家であるケディース・デリョンだった。12日マッカーサーの承認を受けた憲法草案は、その二日、日本側に伝達された。幣原内閣の総理と閣僚達は、その内容を見てびっくり仰天した。
‘現人神(あらひとがみ)’であると同時に、国家の最高統治者であった[天皇]が、‘国民統合の象徴的存在’として格下げされ、戦争放棄条項が盛られた為だ。それから13日の間、日本側とマッカーサーの間に文案の折衝が進められたが、マッカーサー三原則はそのまま貫徹された。英語で作成されたマッカーサー草案は日本語に翻訳され、その月26日閣議に配布されて、これを基礎に整理作業が進められたあと、3月6日憲法改定要綱として幣原内閣によって公式発表された。
連合国総司令部の草案作成開始から改定要綱発表まで、凡そひと月しかからないこの速成憲法は、その年11月3日に公布され、それから6か月後に発布された。
こんな憲法の誕生背景を理解すれば、‘We the people of・・・’で始まる米・日憲法が同一な理由が、マッカーサーの日本変貌構想と米軍の法律専門家の発想法が、そのまま日本憲法に投影された為である事を知る事が出来る。
だから日本人達の中には、現行憲法を‘マッカーサー憲法’或いは‘翻訳憲法’だと、当てこする(皮肉る)人もいる。世界唯一つの‘平和憲法’を持った国と言う讃辞を聞きながらも、今は独立国家としての自主的な憲法、日本語の文脈に合った日本国の憲法を新しく制定しなければならないと叫ぶ改憲論者達の声は、その点で、尤もらしい説得力を持っている。
その上、50余年の間、大きく変わってしまった日本社会と国際情勢に照らして見る時、現行憲法が現実的に不適切だと考える日本人達も相当数現れ始めた。憲法は、万古不変のものなのか、必要なら改めるのが当然ではないのか、この様に言う人々が増えているのだ。橋本総理は1996年11月3日、憲法公布50周年を迎えて、‘開放的改憲論議’の必要性を公然と提起した。
彼が表面的に掲げた理由は、現行憲法第89条(公的財産の支出または利用の制限)が、私学の振興を妨害しているためと言うものだった。今までの改憲論議は、戦争放棄を明示的に規定した第9条の改定問題に極限されたものが事実であって、これは即、日本国の性格を根本的に取り換える改憲論である為に、改憲論議自体がタブー視されて来た。
しかし、憲法制定50年が過ぎた今、日本ではこんな改憲論のタブーが破られている。第9条に局限することなく改定対象を広げ、開放的に改憲を論議することが好ましいと言う方向に、国民世論が傾き始めたのだ。ここには、橋本総理が話した私学振興問題を始めとし、環境保護、国民の知る権利と情報公開、表現の自由とプライバシーの尊重問題なども含まれる。
言論社(マスメディア)が主導する改憲論
新聞社の世論調査に依れば、新聞社ごとに五つの差が出たが、1998年春現在、改憲支持側が50%を越えるものと明らかになる。何年かの間に、賛成側がぐっと増えたと同時に、反対側が次第に減っている点も注視するに値する。この様に改憲論が徐々に力を得ている状況は、遠からず、改憲が現実化することが出来る事を予告している様だ。
その時期は、現行憲法の規定上、国会の改憲発議に必要な衆・参両院議員三分の二以上を、自民党が単独で確保するか、或いは自民党と連立する保守勢力が確保する日と見れば、あまり違いはないであろう。
1950年代、鳩山一郎、岸信介を中心として、軍国主義残存勢力が繰り広げた第一次改憲運動が挫折してから、その間、改憲の動きは幾度か間歇的にあった。しかしそれらは、改憲タブーに阻まれ水面下で消えて行った。そうであるが、冷戦体制の崩壊と湾岸戦争を契機に、改憲運動が再び浮上し始めた。
1990年代のこの改憲運動は、政治系(政党系―訳注)が無い<読売新聞><サンケイ新聞>など言論社が主導していると言う点で、過去とは異なる特徴を求める事が出来る。その中で特に、日本最大の発行部数を誇る<読売新聞>は、1992年1月、憲法問題調査会を発足させ、この調査会の繰り返された審議を基礎として1994年11月、憲法改定試案を発表した。
試案の最大の特徴は、天皇の位置付けと、戦争放棄条項の修正にある。現行憲法で‘国民統合の象徴’として規定されている天皇を、‘国家の代表’に新しく位置付け、対外関係で国家の元首である事を明白にはっきりさせたし、第9条問題に対しては、第2項戦力の不保持と交戦権の否認を削除した。改憲派は<読売新聞>を中心としたこの改憲推進の動きを、本格的な第2次改憲運動と呼んでいる。
<読売新聞>試案を契機に、政界では‘憲法調査委員会設置推進議員連盟(会長[中山太郎]前外相)’が結成された。国会に憲法問題を検討する常任委員会を設置することを目標に活動しているこの議員連盟は、改憲を前面に押し立てるのでは無く、‘憲法問題論議’が必要だと言う点を強調している。だから政界で推進する今回の改憲運動の特徴は、過去と異なり、非常に用心深く改憲に接近していると言う点だ。議員連盟には社民党(旧社会党)と共産党を除外した与・野の衆・参議員350余名が参加している。
改憲運動の最大の名分は、平和主義・基本的人権の尊重・議会民主主義制度の確立と言う現行憲法精神が過去50年のあいだ定着された為に、今は変わってしまった時代状況に相応しい改憲をしなければならないと言うものだ。これはすなわち、現行憲法の使命完遂論と言う事が出来る。
しかし、改憲論者達がどんな名分を押し立てようが、彼等の最大にして、最優先の目標は、憲法第9条の改正にある。第9条の内容は、次の様だ。
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
この条項は、分析すれば、日本は陸・海・空軍と呼ばれる軍隊も置く事が出来ず、他国と戦争も出来ない事となる。その為、この条項を巡って自衛隊に関する違憲論争が繰り広げられたのだ。この論争は結局、如何なる国にも自衛の権利はあるのであって、第9条2項と言えど、‘必要最小限の自衛力’の保有までを、禁止する事ではないと言う政府法制局の解析(判断)に依って、自衛隊設置が正当化されることで、一区切りついた。そして以後、自衛隊は、世界でも指折りの莫大な規模の防衛費支出に支えられ、在来式の兵器面では極めて強力な‘軍隊ではない軍隊’に成長した。
ところで、冷戦が終息され、湾岸戦争が起こり自衛隊の役割と活動を海外に拡大する必要性が提起されながら、改憲論と関連して自衛隊問題が再び浮上した。自衛隊のPKO(国連平和維持活動)参加を取り捲いた憲法論争が即ちそれであるが、その時は、平和を目的に国連の枠内で自衛隊を海外に派兵する事は、違憲でないと言う、いわゆる‘解釈改憲’に依って論争は一旦静まった。それに従って、1992年にはPKO法も成立された。
その後改憲論は、1993年頃から、特に1996年米・日安保同盟の再定義が遂げられ、韓半島を含んだ‘周辺地域’で有時事の自衛隊の安保の役割が拡大される事で、新たに台頭した。このとき改憲論者達は、自衛隊の役割を日本の防衛にだけ限定すれば、世界平和のための国際貢献を十分に遂行することが出来ないと言うことを、名分として押し立てた。しかし、その名分の後には、‘周辺地域’での国際紛争時、日本の軍事的介入までを念頭に置いた、政治・軍事的大国化の狙いが潜んでいる事を見過ごしてはならない。
この様に、安保問題と関連して、最大の争点として論議されている集団的自衛権の行使と、その行使に制動をかけている憲法第9条の改定問題が、今後改憲論議で決着をつけるのか、それは日本の政治・軍事大国化を憂慮の視線で注視する東アジア諸国と国民達の最大の関心事だ。(続く)
(訳 柴野貞夫 2011年12月9日)
●「日本主義者の夢」日本語翻訳 1~28は以下
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●<当サイトの参考論文≫
07年3月18日 第1弾 9条1項・2項の破棄は、日本の軍事大国化と、働く民衆の抑圧体制を作ることにある!!(朝鮮語による翻訳付)
07年3月18日 第2弾 日本国憲法の理念こそ、平和の構築である!!(朝鮮語による翻訳付)
07年4月15日 第4弾 改憲手続法=国民投票法と、その強行採決は国民の諸権利の圧殺と蹂躙である!!
07年5月2日 第6弾 自民党「新憲法草案」は、日本国憲法の“平和主義・人権主義・福祉主義”を全面否定する、許すことの出来ない反憲法的クーデターである!!
08年4月22日 第11弾 名古屋高裁は「航空自衛隊による多国籍軍兵員輸送は、憲法9条1項に違反する戦争行為」と判決した!!
参 考 サ イ ト
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